あっ!アレは何だ?第2幕

今やダムの底・中津川渓谷 2022/05/29
 2022/03/12の「メインテーマ」、「登場当時のポカリ」というタイトルで、中津川渓谷をコラムにし てみましたが、その時の構想で、「中津川渓谷の今」をコラムにしてみました。 まず、この写真は オイラが高校生の時に家族で行った中津渓谷でのBBQ。青いシャツ着たオイラの横は親父で す。「中津川渓谷」とか「中津渓谷」と言えば、今じゃ岐阜県とか高知県が有名ですが、40年前は 神奈川県の中津川が神奈川県民のBBQスポットでした。




 色褪せてセピア色になってしまった写真は、同じ高校生の頃の冬です。原付買って友達と中津 川にツーリングです。「誰の許しでこの辺り走ってんだー」って地元の暴走族にからまれてね、ガ ラとタチの悪い暴走族の巣でしたね、神奈川県央部は。その敵討ちで、愛川や清川村のクラスメ イト達を田舎者呼ばわりしてました。
 話は逸れましたが、「石古屋橋」です。本HPの「我が青春のバイクたち」は「YAMAHA MR50  2005/03/06」で使われた画像と同じです。また、話が逸れましたが、当時の「石古屋橋」は芸術で す。欄干から逆アーチの形が完ぺきで、ここをカメラ持参で訪れた輩は100%このショットを撮っ たでしょう。特に、2枚下の旅館群を背景にしたアングルは有名です。一応、上の写真も、2枚下 の写真も、黒い革ジャンの友人を撮ったスナップです。





  当時の「石古屋橋」を探しに、今まで数十年間で何回も行ってみましたが、どうしても場所が特 定できませんでした。2022年、再チャレンジです。国道の、「相川大橋」のバス停のT字交差点を 左折すれば中津川渓谷でした。現在もT字路は健在です。



 そうそう、中津川沿いの道には集落がありましたっけな。



 昔はこの先、どんどん車を走らせてBBQに向かったのですが、今では車両は通行止め。





 右は新道で、左が昔の道ですかね、勿論徒歩でも進入禁止です。





 「石古屋橋」って、新バージョンです。と、いうか「現・石古屋橋」です。当時の欄干の模様を再現 してくれました。これはいいアイデア、懐かしくて感激しました。昔の「石古屋橋」付近もこの辺りな のかな? とりあえず、橋の中央部から上流と下流を撮影してみました。答えから先に言います が、旧の「石古屋橋」があったのは、もっと上流です。







 鳥なんて全く興味・関心がありませんが、突然目の前に現われたもので。ヒヨドリのオス?



 更に上流部に向かって歩きます。あっ!ダムが見えだしちゃいました。昔のBBQ場所は何処?



 ここも道路が分岐。昔の川沿いの道路かな?



 「宮ケ瀬ダム」なんて、全く興味ないのに来てしまいました。すると、「〜石古屋・中津渓谷 ダム ができる前〜」の案内板が、当時の写真も掲載されています。オイラがツーリングやBBQで行っ た中津の「石古屋橋」はこの辺りなのかな?







 「大沢の滝」? 昔もあったのかな? 記憶にはありませんが、自然の滝ですからね、そのまま の姿で存在していたハズですが、当時に観た記憶が全くないんです。






 ダム直下の橋の名が「新石古屋橋」で、川に対して斜めに架かっています。その橋から「大沢 の滝」を撮って、上流と下流の川の様子も収めておきました。





 とうとうダムの突端まで来てしまいました。こんな新しい宮ケ瀬ダムなど全く興味がありません。 先程渡った「新石古屋橋」までの下流部を撮っておきます。





 今回も、昔の「石古屋橋」が存在した場所が特定されず、モヤモヤした気持ちで帰るに帰れま せん。そこで、資料館に足を運ぶことにしました。
 たかが、ダムを下から垂直に上がるだけなのに、何という遠回り。「宮ヶ瀬ダム・水とエネルギ ー館」にお世話になりました。











 やはり、ここに答えがありました。はるばる来てホントに良かったです。ダムの前と後で、定点か ら撮り比べてくれたカメラマンのお方がいらっしゃったのですね。新・旧の「石古屋橋」が全く同じ 場所に、同じ角度で架かっているではないですか! 今の「新・石古屋橋」付近でオイラは高校生 の時にツーリングに訪れ、家族でBBQに来たんです。噂では、「ダムや川の渇水時に、当時の” 石古屋橋”が浮き現われる」ってありますが、完全な都市伝説ですな。考えれば、旅館群や橋な ど、解体撤去してから水没させたハズです。
 長生きするものですよね。早死にしちゃ、損ですよ。後日、改めて当時の「石古屋橋」の場所を 突きとめました。今じゃ、スマホのアプリで新旧の航空写真を対比できるんです。現在の「新石古 屋橋」から上流域、つまりダムに向かって右側が旅館群でした。40年前、ここで家族でBBQをし、 冬には原付でツーリングに来たんです。涙が出てきました。


 
 写真こそありませんが、中津川渓谷の道路はもっと先まで行けました。記憶が曖昧ですが、ク ランク状に道なりに進んで、宮ヶ瀬の学校や役場が在った記憶が残ります。それこそ、今じゃ深 いダム湖の底。オイラが高校生と時は、「やがて近い将来に宮ヶ瀬はダムに沈む」という認識でし た。当時、田舎者扱いしちゃって申し訳なかったです。
 この日も多くの観光客で賑わう「宮ヶ瀬湖畔」でした。哀れにも、当時の宮ヶ瀬・中津渓谷を知る 輩は居なかったでしょうね。



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